初代社長の自叙伝

石ころ達への伝言

引き継ぐ恩

次の世代に引き継ぐ”恩返し”の輪
~義理人情の男~

昭和53年11月(株)山辰鉱産設立。今年で28年を迎えようとしている。
「早かったなぁ」
と話すのは(株)山辰鉱産 初代代表取締役 山下辰己氏

「商売を始めたころ、大変お世話になったタイヤ屋の”オヤジ”がいてね。トラックを運転していた時から、タイヤの交換はその”オヤジ”の所で世話になっていたんだ。今の山辰鉱産があるのは、支えてくれた皆様はもちろんだが、この”オヤジ”のお陰でもあるんだよ。」
と話す山下氏。

商売を始めたころは、お金もなく、父親も早くに亡くし、頼るところもなかった。
驚くことに、そんな山下氏に何も聞かずに7年もの間、保証人になってくれたのだという。
そして、また奥さんも保証人になる”オヤジ”に黙って従ったというのだから、凄い話である。

「もちろん、いまだに”オヤジ!”、”お袋!”と呼ばせてもらってるよ。何年間前に元気なうちにと、北海道旅行に連れて行ったこともあった。まぁ、こんなことじゃ親孝行とは言わないけどね。」

山下辰己氏

山下辰己氏

そして、商売道具であるダンプの修理を夜中でもしてくれた、三菱ふそう浜北営業所のスタッフにも感謝していると山下氏は言う。

「夜、仕事が終ってから修理に出して、次の日の朝5時には直っているんだから驚くよ!ダンプが無ければお客様に迷惑が掛かる。日頃から社員にも、お客様に迷惑を掛けないようベストを尽くすよう言うんだよ。三菱ふそうのスタッフも、本当によく気持ちに答えてくれたよ。」
今でも、ダンプが止まらないよう迅速な対応で、努力してくれているという。

「千両、万両積んでも人の気持ちは買えないよ。子供達にも話すんだ。お前達の今の暮らしは、こうやって支えてくれた人のお陰だと。人の情は決して忘れてはいけない。代が変わったから関係ないのではなく、受け継いでいかなければいけないと。。。」
正に義理人情の男である。

「そして今、自分がいろんな意味で勝負できる土俵に昇らせてもらったからね。目指すは”ナンバーワン”より”オンリーワン”だよ。ちょっと古いかな?」(笑)
世界で一つだけの花~♪がお気に入りのようである。

「物造りをするならば、一つだけの物を造らなきゃ!! まねの出来ない本物をねっ。そして出来たからといって、それで満足してはいけない。より良い物に変えていく研究をしなきゃ・・・」
そう言う山下氏の足元には、フルイやバケツが転がっていた。

「思い立ったら、すぐに試してみないと気がすまない性格でね。(笑) 型にはまらずに何でもやってみることが大事なんだよ。出来ないという常識で動いていたら”オンリーワン”は造れないからね。」

そしてまた、新しい製品が完成したという。水に強く、腐食しない土の砂(管巻材)である。
ついに、道路の下に入れる製品を100%本物のリイサイクル材にすることに成功したのである。海の砂浜を掘リ、山を削って材料を造る時代の終焉である。

こだわりぬいた山下氏の造るリサイクル製品は”オンリーワン”なのだ。

 

山下辰己 やました・たつみ
昭和20年 静岡県生まれ。
昭和53年、31歳で砕石販売業として独立。
昭和61年に産業廃棄物処理場建設をきっかけに、リサイクルの開発に成功
現在、様々なリサイクル製品を研究、開発している。
「今、妻と子供(一女一男)の4人が一緒に働いているのがうれしく、楽しい」